キリスト教

教会とは、建物ではなく、信者の集まりそのものを指す言葉

キリスト教における教会(ギリシア語: ἐκκλησία、ラテン語: ecclesia、英: church)とは、ギリシャ語の「エクレシア(ἐκκλησία)」の訳語で、「人々の集い」の意味から転じて、キリスト教における信者の集まりを意味する語である。

(wikipedia)

教会の起源については、主に二つの説がある。
①イエスが昇天した後、エルサレムに集まった120人ほどの弟子たちによる集会。
彼らは熱心に祈り、今後の活動方針について語り合った。

②初めてイエスの教えを伝道した「聖霊降臨」(ペンテコステ)を教会のはじまりとする。

①での集会は教会にとって重要な「伝道」を行っていなかったため、②の説が有力視されている。
「聖霊降臨」とは、イエスが昇天したのち、エルサレムに集う12人の弟子に聖霊が降ったという奇跡のことである。
12弟子は聖霊の力により、様々な国の言語でイエスの教えを語り、その日のうちに、3000人の信徒を獲得した。

使徒行伝2:1~4

1五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
3また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
4すると、一同は聖霊に満たされ、御霊(みたま)が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

14そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。
「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。
15今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。
16そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、
17『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、
若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
18その時には、わたしの男女の僕(しもべ)たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
19また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
20主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。
21そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。

22イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人(びと)イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。
23このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。
24神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。

25ダビデはイエスについてこう言っている、
『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。
26それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。
27あなたは、わたしの魂を黄泉(よみ)に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。
28あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。

29兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。
30彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、
31キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。
32このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。
33それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。
34ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、『主はわが主に仰せになった、
35あなたの敵をあなたの足台にするまでは、わたしの右に座していなさい』。
36だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。

37人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。
38すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
39この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。
40ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。
41そこで、彼の勧めの言葉を受け入れた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。
42そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
43みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。
44信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、
45資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。
46そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、
47神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。

お父様が聖和されたのち、ペンテコステが起きるとよく家庭連合では説教や集会で話がありましたね。
家庭連合で語られていたのは単に「奇跡的な信徒の増加」ということでは・・・。
ペンテコステの意味をこれらの聖句で見ると、そこには深い示唆があるのではないでしょうか。

教会とは、建物ではなく、信者の集まりそのものを指す言葉。

建物としての教会が誕生したのは西暦313年にキリスト教がローマ帝国によって公認されたのちのことです。それまでは、激しい弾圧、迫害のため、礼拝などの活動は、信徒の私邸や、地下に建造した共同墓地(カタコンベ)などでひそかに行われていました。
公認後は、「教会堂」の建設が一気に広がり、それまで信徒の集まりや共同体を指していた「教会」という言葉は、キリスト教の活動の拠点となる建築物を意味するようになりました。

今は原点に立ち返るときなのではないでしょうか。
立派な建築物が悪いわけではありません。そこにある心情の動機が問われるということなのだと思います。

 

参考資料:一冊で分かるキリスト教・成美堂出版

(コルコバードのキリスト像フォト:chavylagoon)

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