キリスト教 聖書

ローマ皇帝たちの迫害

イエスから指示を受けた12弟子は、エルサレム初代教会を発足。その教えを広めていきました。
当時の教会はユダヤ教の律法と伝統に基づいていました。

ユダヤ教の伝統を重んじるヘブライオイ(ヘブライ語を話すユダヤ人)
ユダヤ教の伝統に対して自由な考え方を持つヘレ二スタイ(ギリシア語を話すユダヤ人)

やがてこの、言語の違う二つのグループに軋轢が生じ始めたのです。

ヘレニスタイのステファノが石打の刑に処せられたのち、キリスト教はユダヤ教から迫害を受けることとなりました。
それと同時にヘブライオイとヘレニスタイは袂を分かちました。

ヘブライオイはその後もエルサレムを拠点、ヘレニスタイや異邦人教徒はシリアのアンティオキアを拠点として異邦人教会を形成。
ここで活躍したのが使徒パウロです。
布教活動により新たな信徒を獲得していったキリスト教でしたが、ローマ帝国からは危険な宗教とみなされていました。

「自分は神だ」と主張するローマ皇帝は、皇帝崇拝を拒否するキリスト教徒に対して、迫害を加えるようになったのです。

しかし、迫害が続けば続くほど、教団の団結力は強まり、キリスト教徒が増えるという皮肉な結果に。

迫害政策が行き詰ったローマ帝国は、キリスト教を認めざるを得なくなり、311年、ガリレウス帝は寛容令を公布。
キリスト教徒である権利、迫害によって破壊された集会場を再建する権利を認めました。

 

<皇帝とおもな迫害行為>

ネロ(在位:54~68年)
キリスト教徒にローマの大火(64年)の放火犯の濡れ衣を着せ、逮捕。ペテロとパウロを含む大勢の信徒を処刑。

ドミティアヌス(在位:81~96年)
恐怖政治を行ない、皇帝を神として礼拝しないキリスト教徒を逮捕、処刑。この迫害を背景に「ヨハネの黙示録」が執筆されたといわれている。

マルクス・アウレリウス(在位:161~180年)
五賢帝とも評される皇帝だが、キリスト教徒の迫害を強め、身分の低い信者にはより厳しい処刑方法をとった。

デキウス(在位:249~251年)
外民族の侵入を背景に、ローマ古来の神々への礼拝と葬儀を行う勅令を発布。多くのキリスト教徒を逮捕し、獄中死させた。

ディオクレティアヌス(在位:284~305年)
専制君主制を導入し、皇帝礼拝を強要。キリスト教の礼拝禁止や教会堂の破壊を命じる勅令を公布。反発する多くのキリスト教徒を処刑した。

ユリアヌス(在位:361~363年)
313年の「ミラノ勅令」で、コンスタンチヌス帝がキリスト教を公認した後にも関わらず、キリスト教徒を公職から追い出した。

 

こうした歴史の土台の上に、今、神様に繋がって生きる私たち、生かされた私たち。

 

ヨハネの黙示録 22:14
いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

 

迫害を背景に執筆されたといわれているヨハネの黙示録。

私の聖書の端書き、メモには、いのちの木にあずかる特権とは、「再臨のキリストに会える特権」と書いてあります。
都は「天国」。着物を洗うとは「罪をぬぐう」と書いてました。
講義で聞いたのか、夕拝での聖書勉強会でか、、、、

 

 

 

参考資料:一冊で分かるキリスト教・成美堂出版

(コルコバードのキリスト像フォト:chavylagoon)

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