あれこれ

お母様のみ言葉も編集?

いつもとなりにブログで8月23日のお母様のみ言葉が紹介されていました。
み言葉なので、掲載されているのは日本での公式のものだと思います。

以前、シャボン玉さんが早々に紹介してくださっていたものと比べてみると、いちいち文が直されているところが目につきました。
美しい日本語に?ということなのかもしれませんが、その必要があるのでしょうか。
シャボン玉さんの紹介してくださったものは韓国語からの翻訳です。
お母様は韓国語で語られているのでしょうから、原文からですよね。

英語を日本語にするのとは違って、韓国語から日本語はほとんどそのままの文章で十分なのではないでしょうか。
文の変え方が新天聖経みたい?
新天聖経も、なぜわざわざ言い方変えるのかなあという箇所がありますね。

シャボン玉さんの翻訳から

2천년의 기독교 역사는 껍데기였으며, 중심이 없었으며,하늘의 섭리를 몰랐으며,
왜 독생자가 왔는지를 몰랐습니다. 남자 혼자는 아무것도 할 수 없습니다.
기독교의 2천년 역사는 독생녀를 찾아 나오는 역사였어야 합니다.
오늘날 기독교역사는 모릅니다. 그러나 하늘의 섭리는 발전해 나왔습니다.

2千年のキリスト教の歴史は殻であり、中心がなく、天の摂理を知らず、
何故、独生子が来たのかを知りませんでした。
男一人では何もすることができません。
キリスト教2千年の歴史は、独生女を探し出す歴史でなければならなかったのです。
今日のキリスト教の歴史は知りません。しかし、天の摂理は発展してきました。

日本語で紹介されているみ言葉(いつも私のとなりに神様ブログから)

キリスト教2000年の歴史は中身のない殻でした。中心がなかったのです。
独り子が来られたのに、天の摂理も知らず、一人では何もすることができませんでした。
それでキリスト教2000年歴史は、独り娘を探し出す摂理歴史でなければならないのです。
(そのことを)今日のキリスト教徒たちは知りません。しかし、天の摂理歴史は発展してきました。

 

なぜ、言葉を抜かしてみたり、変えたりするのでしょうか。

段落の区切りはシャボン玉さんの方を優先しました。
ほぼ同じといえばそうなのですが、「男」を抜かしたり、「キリスト教の歴史」を「キリスト教徒」にする必要が?
それとも、この公式日本語翻訳バージョンはお母様の検閲により、こうなったのでしょうか?
もしかして同時通訳の書き起こしなのか??(/・ω・)/

こんな感じでこれまでもお父様のみ言葉も省略されたり、直されたりというのは常だったのかもしれませんね。
たくさんいろんなことを語られても、全てが一般シックに届くわけではない。

マルスム選集を韓国語で読める方々がどれだけ素晴らしく、貴重であるか実感します。

 

聖和以後、お母様のみ言葉はいつも同じですね…。
そしてあまりにも「お父様」という言葉が出てきませんね。

と、思わないのかなあと不思議でなりません。

 

 

 
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