お父様のみ言葉

いつも円満に心の門を開けておかなければなりません

牧会者の道 第一章 牧会者論
第四節 牧会者の責任 2召命に対する姿勢より

信仰の道では、召命を受けるのも難しいのですが、その召命を受けてから、それに従っていくことも極めて困難だということを感じるようになるのです。

ですから、皆さんが信仰の道を行くのにおいて、どのような心の姿勢をもたなければならないかといえば、いつも円満に心の門を開けておかなければなりません。空気をパンパンに入れたゴム球のように、心を丸くして、誰にも偏らずに対することができなければなりません。そのような立場をとって進んでいかなければ、信仰の道において必ず冒険が起こり、ひっくり返る路程が起こるのです。私たちは、このようなことを往々にして感じることができるのです。

心がいつもくぼむことなく、主体的な立場に立つと同時に、円満な立場に立っているためには、いつも自分自身を磨いていかなければなりません。そうでないまま激越なる立場に立つようになれば、その激しさによって心が傾いてしまうようになるのです。悲しい立場に立てば、衝撃を受けるようになって、自分の本性からずれて、心がめげてしまうようになるのです。ですから、いつも自分の心性を中央に位置するようにしながら、自分の心性がどのようにならなければいけないかということを知って、それを調整することができる生活態度が必要だということです。

ちょっと考えてみれば、心を気球のように思うことができます。心が気球のように高く浮かび上がっているようになる時は、すべてのことが貫徹されます。しかし、この気球が、低気圧になれば、スーッと降りてくるように、心も下がってくる気分になる時があります。そのような時には、その基準でそのまま前のような姿勢でいれば、これは必ずめげてしまうのです。

下がってくる立場に立つようになれば、必ずもっと下がっていくし、その後、反対に押して上がっていかなければならないのです。それでは下がってくる時には、どの程度まで下がってこなければならないのでしょうか? どん底まで下がっていかなければなりません。一番下まで下がっていくようになれば、反作用によって再び上がっていくようになるのです。気圧がしきりに下がっていく立場で、ある基準まで下がっていけば、逆に反作用によって上がっていく立場に立つというのです。

したがって、皆さんは下がっていく立場を守るのか、でなければ現在の立場で押して上がっていく作用をするかして、心の基準を調整することができる信仰態度が必要だということです。(四〇・六九)

 

まだ20才のころ。
とある大先輩のお姉さんが言いました。

 

「この道は最後まで行くことに意義があるのよ」

 

この一言が私にとってはその後ずーっと心の支え、信仰の支えとなりました。
幼く、足りないところだらけで、実績もなく、役にも立たないような自分に神様がそのお姉さんを通し語って下さった言葉だと。

 

信仰は自分が選択する道。
習慣の中に埋もれずにいたいものです。

 

 

いつも円満に心の門を開けておかなければなりません。空気をパンパンに入れたゴム球のように、心を丸くして、誰にも偏らずに対することができなければなりません。

心がいつもくぼむことなく、主体的な立場に立つと同時に、円満な立場に立っているためには、いつも自分自身を磨いていかなければなりません。

 

 

 

 

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