亨進様説教

王国は具体的な地上の特定の場所

2016年3月20日「御国が来ますように」  Thy kingdom come 亨進様説教

イエス様は「御国よ、来たれ」と祈りなさいと言われました。黙示録ではこの地を覆う、この地を支配するとあります。悪なる王国を滅ぼし、全地を支配するとあるのです。イエス様は私たちに「天国に行きなさい」と命じたのではなく「天国がこの地に来ること」を祈れと命じられたのです。

お判りでしょうか。その王国の一員となるときその身分はどのようなものでしょうか。「市民」だというのです。では「市民」は何を持つべきでしょうか。人権です。裁判所でも王の面前でも尊重されるべき権利を持つのです。王国の市民でなければそのような権利を得ることはできません。

王国は宗教と異なるのです。宗教は教会員、信徒で構成されます。王国は市民で構成されるのです。宗教には神々を鎮める信者がいますが、王国には王と共に働く市民がいます。市民は王国の一部でありそこで権利を保持します。

原理では神様ですらご自分が設定された原理に従わざるを得ないと言います。なぜなら神様の法は神様の本性の延長線上にあるものだからです。原理を否定することは神様の本性の否定につながります。人を殺すな、盗むなと命じられたのも神様の本性が善であり愛であり義であるからです。原理に背く行動をされない理由は本性に背かないからなのです。

王国でも同じことが言えます。王国の法は国王の信念や文化の延長として出てくるのです。過去の王国を見ても出てくる法は全体主義的でした。それは国王自身が全体主義的であることの帰結です。王の本性の延長として法があるのです。

ここで質問です。もしイエス様が王国を築いていたならそれはこの世にあらわれた過去の全体主義的な王国になったでしょうか。間違いなく違っていたでしょう。こういうことを考えておくことは重要です。なぜなら王国は宗教教派でもなく宗教的体験でもありません。それは具体的な地上の特定の場所だというのです。

 

私たちは教会員になることを決意したのではなく、お父様を王の王として、王国の市民となることを決意した者たちです。
それ故、亨進様と共に行くのです。

 

 

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