お父様のみ言葉

神様が造られた万物を慈しむ

2018/12/28

自然は、どんなにつまらないものでも、そのどんなものとも比べられません。道端に価値なく立っている1本の木も、有名な画家が描いたどんな絵画とも比較ができません。どんなに名のある画家が最高の傑作品として花を描いたとしても、描かれたその絵画からは、いくら凝視しても花は咲きません。香りもしません。また、種を結べません。しかし、価値なく道端に立っている木からは、花が咲き、実を結び、種を残します。そして、その種を植えれば、その木よりも良い木がいくらでも出てくるのです。ゆえに、その有名な画家が描いた絵画とも比較できません。

人間は、自分が愛する人のものは何でも好み、慈しみます。しかし、一番愛さなければならない神様が造られた万物を慈しむことを知りません。このような人たちが神様の息子、娘になれますか。嘆息している万物の恨を解怨してあげるべき責任を負った皆さんは、1本の木、一株の草にも6000年前にそれらを造られた時の神様の心情と、創造に差し伸べられた手を体恤しなければなりません。そのような心をもたなければなりません。
そのため、道を歩いていて、一株の草を見ても、涙を流すことができなければなりません。1本の木をつかんでも、泣くことができなければなりません。「主人を失ってしまってどんなに寂しかったことか」と言いながら。ここで話をしている文鮮明先生は、たくさん泣いたのです。岩をつかんでも泣き、風が吹くのを見て泣いたのです。なぜ、そうでなければならないのか、今、み言を聞いたから理解できるはずです。(9-176,1960.5.8)

天聖経「真の愛」より

 

 

 

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