
行く道が違う
みな選択した道が、それぞれが「正道」だと思っている。
途中で道が違うと思って、変えたとしてもその人の自由だ。
信仰は強制されるものではない。
いくな、見るなと指示し、考えることを停止させようとするのはまるで共産主義。
正道なら堂々としていればいい。
関心があればそちらを自由に研究して下さいと言えばいいし、真実を求めるのは人の自由だ。
奪われるとか泥棒とか、所有物なのか。
家庭連合は昔から鳥かごに閉じ込めるような信仰指導をしてきた。いい大人になった今も同じような指導だ。
結果、社会性のない内輪の常識でしか考えられない人が増えたのではないか。
どこにいても神様はいる。悪と戦うのも個人だ。
神との関係性を「組織」が守るのか?
きらびやかに見せる大会、豪華な建物の成果は何か。
判断するのは誰かの言葉ではなく、お父様のみ言葉に尽きる。
韓オモニの言葉にお父様は感じることができない。
お父様は顕進様の行動を支持されていなかった。
行く道が違うということでしょう。
一つになるべきと軽々しくいうのはそもそも自分たちの信じている道を理解してないのではないか。
譲歩せよと言っているに過ぎない。
お父様が立てられた亨進様を固く信じている。
そして、亨進様にお父様をみている。
そして、亨進様のみ言葉に学ぶことが、今の時を超えていく力を与えてくださると感じている。
それが家庭連合なら「韓オモニ」、家庭平和協会なら「顕進様」と置き換えるとするなら、
行く道が違うということだ。
真理は一つなのだから。
もし考えが変わるとしたら、それは神の準備した時とみ言葉との出会い以外にない。