お父様のみ言葉

新しい世界に再び生まれ得る生命の気運

愛するお父様、今迄春の環境を開拓する為に、絶えず苦労されたお父様がいらっしゃるという事実を思う時、私達はお父様に無限に感謝し、無限に歓迎しながら、自分の生命と愛全体を、そっくり移してさしあげられる自らになれなかった事を嘆息し得る息子、娘に成るべきです。私達が新しい春を迎える為には、私の生命が同化する事が出来る因縁を持って、そこに完全に吸収されなければならないという事を知るべきでございます。

そうしてこそ、初めて春を迎えて花を咲かせる事が出来るという事実を知るべきでございます。「一生で、どのひと時に春を迎えた事があるのか」と聞かれる時、何時だと答えられない、春を迎えられずに逝った可哀想な霊になってはいけません。一つの花が咲いて実を結ぶ為には、夏と秋を経なければならない様に、私達も一つの実を結ぶ為には、その様な過程を経なければならないのでございます。

一つの生命が投入され、実が結ばれる迄には、夏の季節を過ごし、その根と幹と枝の全体から生命の要素を吸収してこそ、完全な生命力を持って第二の生を出発出来るという事実を思うものでございます。同様に、この体は死んだとしても、その心の中に、新しい世界に再び生まれ得る生命の気運が膨れ上がり得るかという問題を、自ら推し量る事の出来る息子、娘に成るべきです。

いくら歳月が過ぎていき、暴風雨が激しく吹き荒れても、内的な生命力は、その環境の侵犯を受けずに絶えず発展の路程を行ってこそ、春を迎えて再び蒔かれ得る、第二の生命の母体である種になれる事を知るのでございます。

同様に、私達の外的な姿はみすぼらしいものですが、無限の生命力を集約出来る母体、あるいは結実体として再び無限の世界に植えられ得る価値ある人がいるならば、いくら外的に悲惨であっても、悲惨な人ではないという事を思うのでございます。その外的な姿が悲惨になれば悲惨に成るほど、内的な価値はより充実するという事が保障されるという事実を、私達が知る様にお許し下さる事を切にお願い申し上げます。(三二―三七)

天聖経 地上生活と霊界

 

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