亨進様説教 鉄の杖の王国

防衛のための武器 Arms for defense

世界のほとんどの人々は、自国の政府と教育機関から、銃は危険なものであり犯罪を生み出すものだと教育されています。これは、銃が正しい人に所有される場合には真実とは程遠いのです。銃が法を順守する人の手にある場合、統計的に社会はより安全になり、殺人発生率は落ち込みます。おそらく今日の講演者から、もっと正確な統計を聞けることでしょう。

全ての人は自分の価値と値打ちを神様との関係によって見出すというのが、私の見方であり、私の父の見方です

国民としても個人としても、神様を信じるか否かは個人的な意思決定の1つですが、それは次のような現実から私たちを引き離すものではありません。私たちの生命に意味があり、私たちの生命に価値があり、私たちは直感的に正しいことと間違っていることの違い、善と悪の違いが分かり、抑圧されている人々が解放されることを望むという現実です。

私たちは人々が暴力的な侵入や、一般の個人の平穏な生活を自己の利益のために搾取しようとする暴力的な人物から、自衛することができるようになることを望みます。

私たちが自然に持っているこのような願望は全て、天におられる父に由来するものだと私は考えています。私たちはその天の父の形に創造されています。またキリストが神様の戒めを2つの単純なことに要約したように、自然に慈悲を求める衝動と、神様を愛し隣人を愛そうとする衝動などもあります。

それらのことは、責任を持って銃を所有することにより人を守ろうとする人に要約されると思います。

神様の最終的なこの世の統治を、鉄の杖と神様の本当の性質によって取り決めることができるようにするのが唯一の道です。神様の性質は時がたっても不変であり、正義の神であり愛の神であることは変わりません。神様は貧困にある人に優しく、しかしまた自由意思という贈り物を尊重しています。それは被造物である人間に与えたものです。

私たちの権利と自然法、自然権が、その本質が愛であり善であり正義である超越的な創造主に由来するものだということを理解するなら、神様の被造物である人間が、通常は政府や官僚にのみ与えられている権力に対して、責任を持つということも信じなければなりません。

普通の市民が、王の王であり、主人の主人である自分たちの創造主が付与した主権を目にすることができる時が来ました。

共同相続人、本質的に王と王妃として神の王国で神と共に立つのです。そして鉄の杖で国を統治しようではありませんか。征服するためではなく、平和と安定のために。人類が搾取者なしに、また自分たちの生命に対する暴力的な割り込みや暴力的な侵入を受けることなく前進できるように。

聖句では「天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」と言っています。あらゆる人種、国家、宗教の市民が、武力によって市民を傷つけ搾取しようとする暴君、独裁者、権力、そして国内外の敵から自分を守ることができるようにするために、力を所有し、人権を持つことが必要不可欠です。

市民こそが私たちの共同防衛のための最大で最重要な守りなのです。

「防衛のための武器(Arms for defense)」協議会での二代王様のスピーチ
(2018年1月20日、スイス、ローザンヌ)

 

-亨進様説教, 鉄の杖の王国